

140年もかける蜂蜜を採る伝統
会社について
ウクライナの養蜂の伝統と革新
Svoya Pasikaとはウクライナ語で「うちの養蜂場」という意味です。
私達は伝統的な技術や新しいやり方のおかげでウクライナの蜂蜜を作っています。自分で作った蜂蜜しか売っていません。ですから、「うちの養蜂場」が作った蜂蜜の自信があります。私たちが生産する天然蜂蜜は、原料のすべての有用な特性を保持しています。各ステージは養蜂伝統を守っている経験豊富な養蜂家によって綿密に監視されています。

我々の使命
伝統を守ること
3世紀にわたって私たちに伝わってきた合理的な養蜂の伝統を守ること。蜂蜜の製造技術のリーダーになること。世界の蜂蜜生産におけるウクライナのリーダであることを守ること。自然や調和で、蜂蜜を集めてきたそれぞれの蜂への 感謝の気持ちを持って得られた蜂蜜だけは卓越した味覚特性を持ち、健康にいいということが我々は分かっています。
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蜂蜜生産のすべての参加者(花から花へと飛ぶ蜂から、最高品質の製品を喜んで味わうお客さままで)への尊重
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誠実さや結果に対する責任
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コミュニケーションにおけるパートナーシップとオープン性


長い歴史のある養蜂の部分-うちの養蜂場
1798年 ウクライナのコサック、ペトロ・プロコポヴィッチは養蜂に従事し始めた。
1814年 ペトロ・プロコポヴィッチは世界で始めて折りたたみフレーム蜂の巣を作った。合理的な養蜂を始めた。
1828年 プロコポビッチの指導でヨーロッパで最初の養蜂家学校がウクライナに開設された。
1839年 プロコポビッチの養蜂場世界で一番大きくなった(10000の蜂のコロニー)。プロコポビッチはニコラス1世の宮廷への蜂蜜の公式サプライヤーだ。
1880年 プロコポビッチの追随者であるティホンとナタリアグレベンニクがミツバチの最初の群れを捕まえ、独自の養蜂場を始める。
1920-1950年 グレベンニク家は、地元の村のインフラの開発に大きく貢献している。ミルを建設し、電気とラジオを実施する。
2000年 ティホンとナタイアの曾孫であるミハイロ・グレベンニクは、合理的な養蜂の伝統を守るという仕事を続け始める。「うちの養蜂場」という商標を作成する。
製造。 技術。 品質
私たちの生産は、ノヴォオレクサンドリヴカというの絵のように美しい村にあります。この村は、果てしないウクライナの草原、野原、緑豊かな庭園に囲まれ、主要都市や工業地帯からかなり離れています(100 km以上)。
私たちの養蜂場は遊牧ベースで動いています。蜜の収集には最適な場所を選択し、蜜の収集期間中はミツバチの巣箱をそこに輸送します。 続きを読む
